昨日の続き。
真珠の耳飾りの少女は映画より本の方がエロティックだ。
映画のコリン・ファースのフェルメールとスカーレット・ヨハンソンのモデルという配役には文句なし。読む時も映像が自然に浮かんで、そのイメージに邪魔されないくらいピッタリだ。
もともとの話が、想像させることで醸し出すようになってるから、本の方に分があるのだろう。
主人公にされている、フェルメールの絵画の中でも一番有名な絵のモデルが、髪の毛を絶対見せない。本人が、髪を出した自分を、別の自分=性的な自分と認識している。
普段はメイドとして白いキャップですっぽり覆ってるし、モデルとなった際も布をターバン風に巻きつける。それだからこそ、ターバン巻いてるとこをフェルメールに見られたりする場面はドキッとする。
髪の毛を出すのは拒否するのに、耳飾りをするために耳たぶに穴まで開けたり、口が半開きで描かれていたりするのも、本の方が意味深に描かれる。
読んだのはハーパーコリンズから2005年に出たハードカバー。なかなかいい作りだ。
作中に登場するそれぞれの絵がちゃんと綴じこんであるから、よくわかる。著者トレイシー・シュヴァリエも新版では絵が入ったと喜んでた。この物語ができた経過が明かされてるあとがきも、本の中身に劣らないくらいワクワクした。
実際には謎だというモデルをフェルメールの家に仕えるメイドとした時点で、もう下地は整っている。
妻も入ることを許されないアトリエの掃除係、物の位置を動かすことなく綺麗にしなくてはいけない、に選ばれるあたりから、画家のお眼鏡にかなった繊細な目を持ったメイドとして、もう妻とのライバル関係が予想されてハラハラ。ウーン、上手い。
それで、絵の中の少女に見て取れるフェルメールに寄せているであろう信頼、それでいて身内ではないような感じも綺麗に説明できてる。
フェルメールの家の経済状況とか、むこ様の立場とかの資料は残ってて、それは再現したようだ。メイドを使うような家柄には違いないけど、子沢山で楽な暮らしではなく、43歳で亡くなったのには心労もあったらしいというのが泣かせる。
見てから読んでも、読んでから見ても、面白い作品。